それはなんの前触れもなく、突然やってきた。
X(旧Twitter)のTLをぼんやりと眺めていた時のこと。
おすすめに流れてきたバズってるポスト。
そこに下げられた「バズったから宣伝」というテンプレート。
『私の推しバンドが復活ライブやります!』
ぼんやりと流し見ていたので通り過ぎ、一瞬遅れて理解した。
!?!?
慌ててスクロールを止めて逆方向へ。
そこに書かれていたバンド名、私知ってる……
突然強制的に過去の記憶が蘇る
あれから何年経った?
20年?
いや、もっと経っているはず。
厨二病以前に本物の中二にすらまだなっていない中学1年生当時、私はとあるV系バンドにハマっていた。
いわゆるV系全盛期と言われていた時代。
そのバンドが……
復活ライブ……???
突然。
本当に突然、私は物凄く懐かしい気持ちに襲われた。
あまりにも時間が経ちすぎていて、そのバンドの存在も、自分がそのバンドにハマっていたこともすっかり忘れ去っていたのに、そのポストを見た途端、急に過去の思い出があれこれと蘇ってきた。
「バズったから宣伝」にこんな効果があるなんて……
Twitter時代から長らくこのSNSを使っているけれど、宣伝効果をこんなに実感させられたことはなかった。
中学時代
そもそもなぜ中1でV系バンドにハマったのか。
これはとても簡単で、その時仲良くなった子の影響だった。
熱心な布教活動にまんまと陥落。
そのまま引き摺り込まれ、友人と3人で沼っていた。
布教主はボーカル推し、もう一人の友人はドラマー推し、私はギター推しだった。
そのバンドはツインギターで、私はギター隊どちらも好きだったけど、メインで推していたのは職人のようにギターシンセを扱う彼だった。
私たちは本当にそのバンドが好きで、休み時間になると集まって語り合い、学校が終わればカラオケで歌い、彼らがパーソナリティを務める深夜ラジオも熱心に聴いた。
まだライブに行ける年齢ではなかったので、その分ライブビデオは擦り切れるほど繰り返し見た。
当時彼らはメジャーデビューを果たしたところで、私たちが聴いていたのは主にインディーズ時代の作品だった。
「インディーズ」が何なのかもよくわかっていなかったような頃の話だ。
彼らの創る世界観が好きで、楽曲のカッコよさに惹かれて、時には救われたような気持ちに勝手になって泣いたりもした。
それは“宗教”という言葉がピッタリで、“陶酔”という言葉があまりにも似合っていた。
今思うと、小学校卒業直後の少女が嗜むには少々過激すぎるコンテンツだったように思う。
それでも、いつかライブに行きたい。彼のギターを生で聴きたい。強くそう願っていた。焦がれていた。
私はその頃からインターネットが大好きで、当時にしては珍しく自宅にパソコンがあったので、23時を過ぎるといつもネットの海を徘徊していた。
当時流行っていたHPというもの、いわゆるファンサイトの掲示板で、バンギャのお姉さんたちと交流し仲良くなった。
今じゃ考えられないけど、当時は手紙とかFAXで親交(信仰?)を深め合い、実際に会ったりもしていた。
当たり前のように年上のお姉さんたちばかりだったけど、みんな優しくて良くしてくれたなぁ。
みんな元気にしてるかな。
バンドを卒業し、音楽を失う
メジャーデビュー後、彼らの人気は高まっていった。
それは嬉しくもあり、けれど同時に私を微妙な気持ちにさせた。
最初の頃は良かった。
でも新曲が増えるに連れて、段々と曲が……
そう、曲がハマらなくなっていった。
元々私は「好きな曲は?」と聞かれれば「これが好き!」という曲がいくつかあるのだけど、でも本音は全部の曲が好きだった。
インディーズの曲も、デビュー初期の頃の曲も、全部好き。好きじゃない曲なんて無いと思っていた。
それなのに、途中から、なぜだかハマれない曲が出始めた。
それは良くない予兆だった。
当時の私は「デビューして売れたからって世間に迎合しやがって」とか勝手に思っていた。
でも多分違った。
物事はそう単純ではなかった(ように今の私は再度勝手に感じている)。
彼らの世界は、ファンの間で“教祖”と呼ばれていたボーカルが作り上げていた。
彼の詞を借りるならば、彼はまさに“カリスマ”だった。
教祖を中心に、4人のメンバーが彼を囲んでいた。
彼らはいつも教祖のことを見ていた。
ファンである私たちではなく、教祖のことを見ていた。
そして彼が創り出す世界に陶酔し、絶妙なバランスでその世界を共に創っていた。
それは多分、彼らを取り囲む私たちファンの誰が思うより、繊細なバランスだったのだろうと今だから思う。
全ての中心にいた教祖だって、私たちのことなんか見ていなかった。
彼はただ、見せつけていただけだ。
自分たちが創り出した世界を。私たちに。
それはとても閉鎖的で、美しいけれど脆弱で、希望と絶望に満ちたものだった。
その閉じた空間に、少し何かが混ざったのだと思う。
「誰かが抜けたら崩壊する」なんて生易しいものじゃない。
教祖のことしか見ていないメンバーが、少しよそ見をしただけで崩壊してしまうような、それほどに繊細で脆い世界だった。
何かが混ざり、少しずつ変化して、幼い私はそれを受け入れることができなかった。
思春期の私の興味は徐々に彼らから逸れ、最終的には離れてしまった。
だから私は後期の彼らの曲を知らないし、その後およそ空中分解のような形で解散してしまったこともあとから知った。
今回ものすごく久しぶりに彼らの楽曲を聴いたけれど、感じることは当時と同じ。
インディーズ時代からデビュー後前半の曲はどれを聴いても未だにカッコイイと思うし、後半の曲はなんだかしっくりこない。
インディーズ時代の曲なんて、もう25年以上前の曲なのに、今聴いてもカッコイイってマジで凄い。天才かよ。
高校時代、失っていた音楽を取り戻す
短い期間とはいえ、多感な時期に彼らを追いかけていたことはその後の私の感性に大きく影響したように思う。
彼らの存在をすっかり忘れてしまうほど時が経った今でも、私の「好きな3大楽器の音色」は変わっていない。
1位 ピアノ
2位 バイオリン
3位 エレキギター
これまでの人生でこの順位が入れ替わったことはない。
そして私の中に彼らという基盤がなければ、その後Linkin Parkにハマることもなかったと思う。
高校生の頃、ネットで知り合った2歳下の男の子にすすめられたのがキッカケだった。
サウンドのカッコ良さにすっかり惚れた。
それはとても久しぶりの感覚だった。
やることは中学生の時と変わらない。
ひたすらに楽曲を聴く。どんなときも聴く。
私は昔から偏執的な性格なので、好きなものはしつこいくらいに繰り返し常に摂取していたいタチなのだ。
親しい人にはそれで引かれたりウザがられたりすることもある。
彼らの楽曲を長く愛し、いつの間にかそれが永遠に続くような気がしていた。
そうして7年前のある日、彼らの来日ライブが話題になった。
当たり前のようにチケットを取り、私はその日を待ち望んでいた。
彼らの曲を、歌を、生で聴きたい。
そう思っていたのに。
叶わなかった。
彼は、
チェスター・ベニントンは、
自ら命を絶った。
私は、
もう二度と、
彼の歌声を聴くことができない。
あまりにもショックで、号泣したくらいじゃ立ち直れなかった。
その日から、私は彼らの曲を聴けなくなってしまった。
あんなに毎日毎日、何年も何年も、朝から晩まで聴いていたのに。
聴いたら嫌でも考えてしまう。
自ら首を吊った彼のことを。
もう7年も経っているのだし、そろそろ大丈夫かと思ったけれど、
こうして思い出しながら文章を書くだけで未だに涙が止まらなくなるので、
やっぱりまだ聴くことはできないと悟る。
そうして再び、私の生活から音楽が消えた。
クラシック最強説
音楽のない生活がしばらく続いて、その後私が再び聴き始めたのがクラシック・バレエの音楽だった。
3歳でジャニヲタデビューを果たし、13歳でV系バンドに沼り、17歳でリンキンにハマった私の音楽人生だったけど、結局3歳の頃習い始めたバレエに回帰した。
そして聴いていればその次は踊りたくなって、結局バレエそのものを再開するに至った。
そんなわけで、クラシックって最強なんだなと改めて思う。
私はチャイコフスキーの音楽が大好きだし、時には前奏だけで感動しちゃったりするけど、私は彼の音楽を失う心配をする必要がない。
彼は解散しないし、自殺もしない。てゆーか私にとっては最初から死人だし。
オケの音はもちろん好きだし、レッスン用にピアノでアレンジされているものも好き。
ピアノの音を聴きながら踊り始めると、
この世の全てのストレスから開放されるような気がする。
先のことは想像できない
これから先の人生、また何かの音楽にハマることがあるのかな。
現状はあまり想像がつかないけれど。
それにしても私がこれまでの人生で聴いてきた音楽って、
めちゃくちゃシンプルと言うか、
めちゃくちゃ偏ってるな。
自分でも初めてこんな風に人生を振り返ったけど、想像を絶する偏執さを発揮してる気がする。
あと、基本的に早熟。
早熟だったはずなのに、中年になった今は大人になりきれてないような気がする。
つくづくバランスの悪い人生だこと。
そして気づいた。
音楽を聴くこと、小説を読むこと、バレエを踊ること、全てに共通して私が求めるもの。
「その世界観に陶酔する」ということ。
現実の人生に、よっぽど不満でもあるのかね?
そんな感じで、本日ワタクシからは以上でございます。
お疲れ様でした!