きょうだい児とは、病気や障害を抱える人を兄弟姉妹にもつ人のことを指す。
私には弟がいて、弟は小学校低学年の頃にある病気の確定診断を受けた。
私の弟は“病気”だった。“普通”ではなかった。
病気の弟が私を“きょうだい児”にし、私も“普通”ではなくなってしまった。
自分が『普通ではない』という自覚がある
第155回(2016年)芥川賞を受賞した本作。
とても有名なのでご存じの方も多いはず。
私自身もなんとなくこの本の情報は持っていた。
『社会生活を上手く送れない主人公の女性がコンビニのアルバイトを通して人間模様を観察しながら社会性を学んでいく』みたいな、なんとなくのあらすじ。
そのあらすじは不正解ではないけれど、正解ではなかったのだと読了後の今だから思う。
『普通ではない』人間は『普通』にはなれない。
主人公・古倉恵子の妹の言葉を借りるなら、それはもう『治らない』。
私と古倉恵子
古倉と私は同世代だ。
なんだか自分を見ているようで、興味深いような、面白いような、それでいて気恥ずかしいような、気まずいような感覚に襲われた。
私自身が『普通』というものを目指して生きてきたので、古倉の行動心理はとてもよくわかる。
彼女は『コンビニ店員』になることで『普通』になろうとした。
私は『安定した会社員』になることで『普通』になろうとした。
『普通ではない』ことを『職業』で隠そうとするところが全く同じで驚いた。
誰にも文句を言われず、誰にも詮索されず、淡々と自分のペースで生きていくためには、この仮面は必要だ。
『普通ではない』自覚があるから『普通』になろうとする。
どんなものが『普通』に見えるのかを理屈で考え、それをトレースする。
自分を『普通』に見せることはできるけれど、根本的には『治らない』。
主人公の妹の訴えは残念ながら全くの無駄なのだ。
しかし古倉は私よりも重症で、それが私にある種の安心感を与えてくれたりもする。
年齢は同じ。
古倉は非正規雇用(コンビニバイト)だけれど私は正社員。
未婚なのも同じ。
けれど古倉は恋愛経験が無く、私にはある。パートナーもいる。
私のほうがより正確に『普通』をトレース出来ていると言える。
その優越感が、物語を読む手を速めたのかも知れない。
“普通”ではないことの弊害
私のパートナーは、私と同じ『きょうだい児』だ。
彼には精神疾患を抱えた姉がいる。
きょうだい児はきょうだい児同士で結婚する傾向があるらしいが、まさにその典型と言える。
私達は婚姻関係にないけれど、長年パートナーシップを維持できているのは『きょうだい児ゆえの歪んだ価値観』が一致しているからと言っても過言ではない。
不自然なくらい『結婚』という行為を避けているのも、『家庭』にトラウマがあるからだ。
きょうだい児は主に、4つのパターンに分けることができる。
1.親代わりにろうとする
病気・障害のある兄弟姉妹に対して親の役割を担おうとする責任感の強いタイプ。
面倒見がいい素晴らしいキョーダイ。
一見問題なさそうに見えるけれど、勿論そんなことはないのは推して知るべし。
2.優等生であろうとする
勉強やスポースに精を出して結果を残そうとするタイプ。
これには様々な想いが含まれる。
兄弟姉妹ができないことを代わりにやろうとする。親のためにやろうとする。親の興味を惹くためにやろうとする。など。
3.退却する
病気・障害のある兄弟姉妹や両親を避けるパターン。
家族と極力関わらないようにする。
4.行動する
自分の我慢や不満、憤りなどを行動で示す。
非行に走ったり暴力的になったりする。
私は幼い頃に4から始まった。
弟の腹に思いっきり蹴りを入れて『殺す気か!?』と親にブチ切れられたことがある。
こんなやつ死ねばいいと本気で思っていた。
少し大きくなると2に移っていった。
勉強は人並みだったけれどスポーツは得意だった。
体育祭では常にリレーのアンカーだったしマラソンは1位。駅伝は区間賞。
親に興味を持たれることや褒められることに飢えていた。
自分で言うのも変だが走る才能はあったと思う。
けれどそれは私にとって、あくまでも『親を振り向かせるための価値』しか無かった。
高校入学と同時に陸上は全て辞めた。
そんなことをしても無駄だと気づいたからだ。
そのまま私は3へ移っていった。
この時点で私の人格がある程度固まったと言えるかも知れない。
もう何も望まない。
家族に対する諦め。失望。
感情的になるのはとても疲れる。期待して裏切られれば絶望するし疲弊する。
そんなことを続けるのはあまりにも馬鹿らしい。
私は『確実に就職すること』を焦点に進路を絞った。
高校も普通科は選択肢から外し、その後は専門学校へ通った。
私が勝手に諦めただけで親と不仲なわけではないので、学費は全て親が出してくれた。
そして順調に就職を決めて、私は一人暮らしの部屋を探した。
勝手に入居を申込み、ある日突然親を連れ出した。
不動産の契約には保証人が必要だったからだ。
突然の出来事に両親は困惑気味だったが不動産屋の前で大層にゴネることもできず、文句を言いながら渋々サインした。
私の作戦勝ちだ。
この日のために、学生時代ずっとお金を貯めてきたのだ。
私は家族から解放されたかった。
自分が成長するに連れて弟に対して『死ね』と思わなくなる代わりに、自分が『死にたい』と思うようになっていった。
それくらい窮屈で辛かった。
そうやって実家を飛び出して、私は『滅多に家に帰らない薄情な娘』になった。
先日も久しぶりに母からLINEが来たが、『半年も連絡がないなんて』と小言を言われた。
年末年始も勿論帰ってないし、挨拶すらしていない。
これは一般的な人から見ると奇妙な光景らしい。
『不仲な親子』の方がまだ周囲からの理解が得られる。
これも小説内の古倉と同じで、幼い頃にスコップで男子生徒を殴った彼女は、『家庭に問題があるのでは』『虐待されているのでは』と周囲から根拠のない憶測を押し付けられる。
人はわかりやすい理由を欲しがるし、理解の出来ないものは集団から排斥しようとする。
だからこそ自分が『普通ではない』ことは隠さなくてはならないし、隠すためにはまず、自分のどこが『普通ではない』のか知る必要がある。
だから【コンビニ人間】を読んでいると、古倉の思考にものすごく共感できるのだ。
人それぞれの【コンビニ人間】を読んだ感想・レビュー
実は以前、【コンビニ人間を読了済みの先輩】から感想を聞いていた。
面白かったですか? という私の質問に、先輩は歯切れ悪く答えた。
『つまらなくはなかったけど…』
この小説は、【コンビニ】という情景がとても美しく描かれている。
これは大きな特徴で、さすが芥川賞受賞作品だなぁと感嘆してしまうほどだ。
おそらく先輩にとっては、ただ美しいだけの作品だったのだろうと思う。
世間の同調圧力や集団心理など、流行りの社会問題っぽいものにも触れている、立派な賞を取るほどお綺麗な純文学。
肝心のストーリーは、
白羽はクズみたいな男で、主人公の女はよくわからないヤツだった。
そんな印象しか残っていないのだろうな、と推測できる。
しかし私のように『普通ではないのに普通のフリをして社会にこっそり溶け込んでいる人種』には、とても興味深く読めるのではないかと思う。
共感し、愉悦に浸り、嫌悪する。
文字数は少ないのに感情を揺さぶられる良い読書体験であった。
この本を読んだ感想が、『普通』か『普通じゃない』かの指標の一つになりそうで、それも面白い。
そんな感じで、本日ワタクシからは以上でございます。
お疲れさまでした!