長かった……
そして面白かった……
こればっかりは読んだ人にしかわかるまい。
ガチのSF小説って今までほぼ読んだことがなかったけれど、
なるほどSF沼にハマる人たちの気持ちがわかってしまった。
童心に返ると言うか…
あらゆる可能性に『ドキドキ・ワクワク』をちゃんと感じることができる。
SFは大人の娯楽だわ。
三体Ⅲ 死神永生 ついに読破おめでとう私
まず、今回の三体Ⅲ 死神永生は、
前巻Ⅱ暗黒森林の裏側から始まる。
今作の主人公である程心(チェン・シン)は、
前作の主人公羅輯(ルオ・ジー)と同じ時代に生まれ育っている。
羅輯が巻き込まれた面壁計画(ウォールフェイサー・プロジェクト)の裏側で、
静かに実行されたプロジェクト。
程心が発案し、ウェイドが推し進めた階梯計画(ラダー・プロジェクト)から全てが始まる。
それは人の脳だけを宇宙へ飛ばし、
あえて三体文明にその脳を鹵獲させるという悍ましい計画だった。
机上の空論として発案した程心だったけれど、
上司のウェイドはその計画を確実に推し進め、
最終的には程心の大学の同級生である雲天明(ユン・ティエンミン)が被験者として選ばれる。
そして雲天明の最後の時、程心はやっとことの重大性に気づき、
自分の仕事を後悔する。
そしてそこから程心の本当の人生が始まっていく。
『時の外の過去』問題
死神永生では、物語の所々に“『時の外の過去』より抜粋”という記述で
解説のような注釈のような章が現れる。
私は暗黒森林に引き続き、物語の書き出しが好きだなと思ったわけだけど、
死神永生は『時の外の過去』から始まる。
『時の外の過去』序文より抜粋
本来、これは歴史と呼ぶべきかもしれないが、頼りになるのが自分の記憶だけとあっては、歴史と呼ぶに足る正確性を望むべくもない。
過去(往時)と呼ぶことさえ正しくない。というのも、以下に語る出来事は、過去に起きたことではなく、今現在起きていることでも、未来に起きることでもないからだ。
『時の外の過去』とは一体なんなのか。
そしてこの序文の意味は?
物語を最後まで読むと、それがわかるようになっている。
私などには想像もつかないような壮大な宇宙に帰属する、とだけ書いておく。
シリーズの第一冊目【三体】にも、
宇宙の果てしなさを示唆するような記述があったのを思い出す。
なにかが透明であればあるほど、それは謎めく。宇宙自体、透明なものだ。視力さえよければ、好きなだけ遠くを見られる。しかし、遠くを見れば見るほど、宇宙は謎めいてくる。
主人公が好きになれない問題
初代主人公・葉文潔(イエ・ウェンジエ)ぶりに女性主人公だったわけだけど、
個人的に今回の主人公・程心は全然好きになれなかった。
(尚、女性で始まり女性で終わるこの三体シリーズ全体の構成は好き)
もう冒頭から好きになれない。
最後まで好きになれなかったし、
むしろ最後の文章を読んで一層嫌悪感が増した。
しかし三体の素晴らしいところは、
物語が壮大で登場人物もめちゃくちゃ多く、
主人公一人くらい嫌いでも全く気にならず面白く読めるところ。
何よりこの物語は、
程心のこの人格がなくては成り立たない。
好ましくない程心が進めていくこの物語全体が私は好きだ。
わたしの一生は、責任の階段を一段一段昇っていくことだった。
このたった一文の破壊力が凄い。
苦虫を噛み潰したような顔になっているな、と自分で思ったほどだ。
彼女が雲天明に階梯計画を奨め後悔したときも、
執剣者(ソードホルダー)でありながら抑止を実行できなかったときも、
戦争してでも曲率推進ドライブの光速船を開発しようとしたウェイドを止めたときも、
関一帆(グアン・イーファン)に宇宙の真実を聞かされて二の句を継げずにいるときも、
彼女が何かを選択するたびに私が感じる嫌悪感の正体を、
この一文が如実に表していた。
愛とか平和とか民意とか。
そんな概念で程心を表現されても納得などできるはずがなかった。
そして程心と対比されるような存在である羅輯やウェイドを好ましく思ってしまうのは、
ある意味で仕方のない現象なのかもしれない。
羅輯は最後までカッコよかったな。
「空間曲率推進用意!」の一言で鳥肌立ったわ…。
ここ読んでる時、
乗ってる電車がタイミングよく駅について口惜しい気持ちになったの
未だに忘れられないww
全体主義に五分で到達する問題
<青銅時代>乗組員セバスチャン・スナイダーの審判エピソード。
〈青銅時代〉が二度と地球に戻れないことがわかり、宇宙船が私の世界の全てだと知った瞬間、私は変わりました。プロセスなどありません。一瞬で別人に変わったんです。
(中略)
とにかくその瞬間、わたしは自我を捨てて集団の一部となり、集団を構成する細胞のひとつ、部品のひとつとなって、ただ集団の生存だけに自分の存在意義を求めた……そういうことです。きっと、意味不明でしょうね。理解してほしいとは思いません。もし仮に、裁判長、あなたが〈青銅時代〉に乗って太陽系の外へ向かい、数万天文単位の彼方、あるいはさらに遠くへ航行したとしても、きっと理解できないでしょう。なぜならあなたは、地球に戻って来られるとわかっていますから。あなたの魂はまだ地球上にあり、そこから一歩たりとも離れていません。宇宙船の後方がとつぜんあとかたもなく消え失せ、太陽も地球も消滅して、なにもない空間へと変わってしまわない限り、私の話した変化を理解できるはずがない。
裁判長に、あなたには理解できないと言い切ったセバスチャン・スナイダー。
そして、裁判長が理解できないことを理解してしまった読者(私)。
それは私自身も、普通に生活していれば理解できない感覚だと知っているから。
そして<青銅時代>のエピソードを、物語に入り込むようにして読めば、
全体主義に一転する抗えない感覚も理解できるから。
個人ではなく人類になる。
あの不思議な感覚が、パラダイムシフトの瞬間と言える。
そしてセバスチャン・スナイダーが引用する映画と小説が非常に興味深い。
高校教師が全体主義とはなにか、ナチスとはどういうものかを生徒に深く理解させるため、クラスに擬似的な全体主義社会を作ることにしました。この計画はみごとに成功し、たった五日間で、クラスは小さなナチス・ドイツになりました。生徒たちはみずから進んで自我と自由を捨てて集団とひとつになり、宗教的なまでの情熱で集団の目標を追い求めたんです。無害なゲームとしてはじまったこの教育的な実験は、ほとんど制御不能な段階まで進みました。後日、この事件は『ザ・ウェイブ』というタイトルでドイツで映画化され、小説も出版されました。
最初に本書を読んだときも多少気にはなったのだけど、
三体シリーズの次に手に取った本が【同志少女よ、敵を撃て】だったので、
今、更に気になり度が増している。
全体主義の恐ろしいところは、そのスピード感にある。
集団が一つの思想を掲げ、目的に向かっていく。
統率されているからこそ、その勢いは個人主義とは比べものにならず、
気付けば誰にも止めることのできない竜巻のようなものになっている。
急な坂道を転がり落ちるボールのように、加速度的に進み始める。
〈青銅時代〉でも、みずからが宇宙を永遠にさまよう運命だとわかった瞬間から、それと同じような全体主義の集団ができあがったんです。それにどのくらいの時間がかかったと思いますか?
五分間です。
ほんとうに、たったの五分間でした。全体会議は五分間だけ開かれました。この全体主義社会の基本的な価値観は、〈青銅時代〉にいた大多数の者が認めたものです。ですから、人類が宇宙をさすらうことになれば、全体主義に到達するには五分しかかかりませんよ。
そしてもう一つ恐ろしいのは、
人はだれでも条件さえ整えば、
だれかがキッカケさえ与えてやれば、
簡単に全体主義に転じてしまうということだ。
この現象にはもはや個人の意志などあまり関係がないように思える。
(多少の個人差はあるようだが)
生物的に組み込まれた何かが発動しているようにしか見えない…
少なくとも。
孤立無援の宇宙に放り出され、
還るべき地球(ほし)を失ったなら、
たったの五分で個人は人類になる。
物理法則を武器として使うことの恐怖問題
これがSFの面白さなんだろうと思う。
実現可能か不可能かで言えば、
現状は圧倒的不可能。
もし本当に、空間の歪みを利用して曲率推進できたら…
もし本当に、光速を第三宇宙速度(秒速16.7km)以下まで落とせたら…
もし本当に、三次元空間を二次元空間に滑落させることができたら…
え?
私たちが生きてる三次元宇宙は、
次元が欠けていってる途中に過ぎないってこと??
なにそれめっちゃ面白いじゃん。
ちなみに私は四次元の描写が全く理解できなかったし、
(三次元に閉塞感を感じるってどんだけよ?と思ったw)
智子(ソフォン)の十一次元展開(だっけ?)も全く理解できませんでしたww
ただ、小説という名のフィクションは本当に面白いなぁと、
改めて思わせてくれた作品だった。
私の中でとても好きな作品に分類されました。
そんな感じで、本日ワタクシからは以上でございます。
お疲れ様でした!