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鉄鼠の檻(一)— 読書メモ & 参考資料


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京極夏彦先生の『鉄鼠の檻』めちゃくちゃ難しくないですか!?
「禅宗」のことがサッパリわからん私。
私と同じような人、きっと他にもいると思うので、
『鉄鼠の檻(一)』を読みながら学んだ内容を参考資料風レポートにしてここに残します。

このレポートの活用方法

このレポートをざっと読んでも多分あまり意味がない。

いや、意味がないというと語弊があるな。

正しくは、内容が頭に入ってこないと思う。

『鉄鼠の檻(一)』を読みながら、わからない文章が出てきた時に、該当部分を読んでほしい。

「わからない」箇所が私と一致した場合に限るが、レポートで解説が読めるはず。

このレポートを作成した経緯

京極夏彦先生の百鬼夜行シリーズ(京極堂シリーズ)を読んでいる。
今シリーズ4冊目の『鉄鼠の檻』に差し掛かっているのだけれど……
内容がめちゃくちゃ難しい。
シリーズが進むにつれて、だんだん難しくなっていっている気がする。
本作のキーとなるのは「禅宗」なのだが、とてもじゃないが私の知識量では物語についていけない。
難しいところは読み流すこともできる。
多分それでも、ある程度物語を楽しめる。
だけどそれじゃあせっかく読むのに勿体ない気がして、わからないことは調べながら読み進めている。
おかげで読むのに時間はかかるけど、意味がわかった方がやはり面白い。
今は便利なもので、ChatGPTに聞けばある程度のことはわかりやすく教えてくれる。
勉学のために学んでいるわけではないのでAIの回答の正誤までは追求していないけれど、「ある程度」は合っているだろうと受け入れている。
目的は「物語を楽しむこと」なので、そこが達成できていれば及第点ということで。
以下は私が『鉄鼠の檻(一)』を読みながらChatGPTから学んだことをレポート風にまとめたものなので、同じく『鉄鼠の檻(一)』を読む人の参考になれば嬉しい。

ChatGPTにまとめてもらった『鉄鼠の檻(一)』の読書メモ&参考資料

このレポートは、京極夏彦『鉄鼠の檻』を読みながら得た知識や考察をまとめたもの。
禅宗や仏教に関する専門的な言葉が多く登場するため、物語の理解を助ける参考資料として活用できれば嬉しい。

鉄鼠とは何か?

『鉄鼠の檻』というタイトルにも含まれる「鉄鼠(てっそ)」とは、仏教に伝わる妖怪の一種。
日本の伝承によると、ある僧侶が戒律を破り、その罪によって鼠の姿に変じたものとされる。
禅宗の世界では、仏法を貪る者、仏門にありながらその本質を損なう者の象徴とも解釈できる。
 
作中では、この鉄鼠という存在がどのような意味を持つのか、ストーリーを追いながら考えてみると面白い。

禅宗とは?

『鉄鼠の檻』は、禅宗を深く掘り下げた作品。
禅宗とは、「坐禅によって悟りに至る」ことを重視する仏教の宗派のこと。
日本では、臨済宗・曹洞宗・黄檗宗の三つが代表的な禅宗の宗派となっている。

箱根の明慧寺は実在する?

作中に登場する「明慧寺(みょうけいじ)」は、架空の寺院。
ただし、箱根には実際に禅宗寺院がいくつもあり、その土地の雰囲気や歴史が明慧寺の舞台設定に影響を与えている可能性がある。

京極という言葉の意味

作中で「京極」という言葉が「倫敦(ロンドン)」と対比的に使われているシーンがある。
「京極(きょうごく)」という言葉自体は、元々「都の端」や「極まるところ」といった意味を持つが、文脈によっては、
「本質」「真理」
「日本的な伝統」
「仏教的な概念の極致」
 
といったニュアンスで使われている可能性がある。
これに対して「倫敦(ロンドン)」が出てくるのは、西洋的な価値観や論理的思考と対比しているのかもしれない。

日本黄檗宗とは?

黄檗宗(おうばくしゅう)は、江戸時代に日本へ伝わった禅宗の一派。
特徴的なのは、中国の明朝仏教の影響が強く、独自の戒律や修行体系を持つこと。
 
作中では「坐禅をどちら向きでするか」という話題の中で黄檗宗が登場する。

坐禅の向き、宗派によって違う!?

曹洞宗:壁に向かって坐る(面壁坐禅)
臨済宗:壁に背を向けて坐る(法堂に向かって坐る)
黄檗宗:基本的には臨済宗に近いが、中国的な影響を強く残している
 
この違いが作中の議論にも関わってくる。

三学の中に定学あり。六度の中に禅度あり。

これは仏教の修行体系を示す言葉。
三学(さんがく):仏道修行の基本である「戒・定・慧」
戒学(かいがく):戒律を守ること
定学(じょうがく):心を静めること(=禅定)
慧学(えがく):智慧を得ること
六度(ろくど):仏教の修行として実践すべき六つの行い(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)
**禅度(ぜんど)**=禅定(坐禅を中心とした精神統一の修行)
 
つまり、「仏教の修行の中で、禅定は重要な位置を占める」という意味。
作中の禅の捉え方を理解する上でのヒントになる。

婆羅門とは?

インドのカースト制度における「司祭階級(バラモン)」のこと。
仏教が誕生する以前のインドでは、婆羅門が宗教的権威を持ち、厳格な修行や祭祀を行っていた。
 
作中では「達磨大師の坐禅は婆羅門の坐行と誤解された」という文脈で登場する。
つまり、禅の本質を理解しないまま「ただの苦行の一種」として捉えられた、という意味になる。

道元の禅と達磨大師の禅

作中に「永平道元曰く、達磨の禅は六度の禅定と同列に考えられるものではない」とある。
これは、曹洞宗における「ただ坐ること(只管打坐)」の重要性を強調している。
 
道元の考え方では、禅宗という枠組みは本来不要であり、「仏法の全道(=すべての真理)」を体現するものが坐禅である。
つまり、達磨大師が行っていた坐禅は、単なる修行の一環ではなく、仏教の根本そのものである、という立場。

「ただ坐る」ことは悟りなのか?

曹洞宗では、「ただ坐ること(只管打坐)」こそが悟りそのものとされる。
「何かを得るために坐る」のではなく、「坐ること自体が仏法の実践であり、完成された行為」だと考える。
 
作中でも、「ただ壁に向かって坐ること」が何を意味するのかを問うシーンがある。
読者としても、「坐禅をすること=悟りの境地なのか?」というテーマを考えながら読み進めると面白い。

禅と瞑想は違う?

「ただ坐る」という行為は、現代の「瞑想」と似ているように見えるが、違いもある。
一般的な瞑想:何かを意識的にコントロールする(呼吸に集中する、思考を整理するなど)
曹洞宗の坐禅:何も求めず、ただ坐ること自体が目的(思考を止める必要はない)
 
瞑想は「何かのためにするもの」だが、曹洞宗の坐禅は「坐ること自体が完成された行為」。

まとめ

『鉄鼠の檻』は、禅宗に関する知識があるとさらに深く楽しめる作品。
特に、曹洞宗の思想、達磨大師の禅、坐禅の意味などを押さえておくと、より理解が進む。
 
禅の世界観は奥深く、一筋縄ではいかないが、それこそがこの作品の魅力でもある。