私は子育てをしていないので、思いっきり他人事として眺めた景色について書き連ねます。
待合室で繰り広げられる母と娘のコミュニケーションについて
今面白い本を読んでいて、読みながらとある2組の親子について思い出したので書き記しておく。
読んでいる本は『ルポ 誰が国語力を殺すのか』著:石井光太
この本からなぜ「親子の話」になるかというと、「国語力の育成」に親とのコミュニケーションが強く影響するようなことが書かれているからです。
『ルポ 誰が国語力を殺すのか』石井光太#今読んでる本 #読書
— M@読書🩰 (@daydream_a_m) 2025年7月29日
例えばだけど、
親になる人にたまたま読書をする習慣があって、その人がたまたまこの本を手に取って読み、子供とのコミュニケーションをほんの少し気を付けただけで、その子供の国語力が中層以上にランク付けされる可能性が高まるとい→ pic.twitter.com/gRvY0tWUAc
今回は私が働いている医療機関の待合室で見かけた親子の話。
case1.突然ブチギレられる親子
その時、診療は暇だった。
待合室には母と未就学女児の親子が一組、そして50代女性の患者が一人。
たったの二組。
子供は忙しなく動き回り、大声を出したりしていた。
まぁまぁ煩い。子供らしいといえば子供らしい。
だけど私が気になったのは母親の方。
見事にスマホしか見ない。
女の子はお母さんに話しかけたりしている。
それでもチラリとも子に視線をやらない。
この待合室で数え切れないほどの親子を見てきたし、今時スマホに夢中の親なんて珍しくもない。
だけど。だけど、子供がこんなに話しかけてるのにここまで完全に無視するお母さんは流石に珍しい。
せめてチラ見くらいはするでしょ。
てゆーか大半のお母さんは、スマホに夢中でも子に話しかけられればチラ見くらいはする。
てゆーか反射的に一瞬くらいは見てしまうものなのでは?と思ったりする。
ここまで完全に子供の存在を無視できるの、逆にすごいお母さんだなぁ…と思いながら、むしろ私の方がその親子をチラチラと見ていた。
しかし私は一応仕事中のため、基本的にはPCの画面を見ていた。
すると突然、待合室に怒鳴り声が響いた。
「ちょっと!あなた子供手ぐらい拭いてあげなさいよ!!その手でその辺触ったら汚いじゃない!!」
50代女性が母親にブチギレていた。
ここで初めて、母親がスマホから顔を離した。
女児のプライバシー保護のため詳細は省くが、どうやら女児は、人前で触るべきでない自分の体の部位を触ったようなのである。
そして落ち着きなく動き回っている彼女は、その後当たり前だが待合の椅子やら壁やらを触っていたらしい。
うん、それは確かに、ちょっと嫌な光景ではあるよね。
偶然にも男性患者のいないタイミングで良かったわ。
そして突然キレられたお母さん、当然のように不機嫌になる。
「は?」という返事。
そして言い返す。
「触ってません!」
「触ってたわよ!!」
「触ってないです!!!」
「あなたねぇ、スマホの画面ばっかり見て、全然子供のこと見てないじゃない!!見てないのにそれでよく触ってないなんて断言できるわね!!」
私(ごもっともです)
私も見てたからね、(女児じゃなくて)お母さんのこと。
これは……仲裁に入るべきか??と、私が考え出したところで50代女性が会計に呼ばれ、そのまま有耶無耶になった。
子供はポカンとしていた。
私はその親子の十数分しか見ていないけど、この親子は大丈夫かな?と少し心配になった。
ここまで子供の存在を無視できるものなんだなぁと。
言葉を交わすどころか視線さえ合わない。
この時はたまたま、なのかも知れないけどね。
もしもこの親子に遭遇する前に本書を読んでいたら、私はもっと女児の言語力に注目したかも知れない。
奇声以外発していなかったような気がするが。
case2.大人顔負け、年齢不詳の女児
その時も待合室は空いていた(そうでなければ患者の観察なんてできない)。
待っている患者は一組だけ。
女性二人が楽しそうにお喋りする声が聞こえてくる。
会話は他愛もない内容だった。
先日の出来事だったり、棚に並んでいる商品の話だったり。
私はふと顔を上げて待合室を見た。
そして言葉を失う(元々なにも喋ってないけど)。
待合室で楽しそうに会話をしているのは、母親と未就学女児だった。
え?子供???
会話の内容が、全然子供じゃない……
女の子は言語発達が早いという話を聞いたこともあるけど、それだって限度があるよね?
え?ないの……??
お母さんはまるで友人に話しかけるように、娘に対して普通に話しかけていた。
子供に話しかけるような言葉遣いではなかった。
軽い感じで、大人に話すとの同じように話している。
声の出し方、話す速さ、使う語彙。
どれをとっても対等な大人と話す話し方でしかなく、娘に意見を求めたりしていた。
「それでさー、この前〜〜〜〜だったんだよー。面白いよねー?〇〇(娘の名前)どう思う??」とか。
え??
私は自分の目と耳を疑った。
「え、そうなの??私はよくわかんないけど、〜〜〜〜なんじゃないの??」
声だけ聞いていたら絶対に未就学児が話しているなんてわからない口調で、娘が答えていた。
大人顔負け??てゆーか大人???
話し方も、言葉遣いも、子供とは思えなかった。
楽しそうに、本当によく話す親子だった。
そもそも子供って、こんな普通のトーンで話せるものなの??
もっと大きい声出したり、奇声を発したりするものじゃないの??
「おませさん」なんてレベル超えてるんですけど??
そしてお母さん、凄すぎませんか??
小さな子供に話しかけるとき、こんなに対等に話しかけられるものなの??
「子供相手感」、出ちゃわないの??
ナチュラルすぎませんか??
これまで仕事で色んな子供を見てきたけれど、私史上最高に大人な子供だった……
きっともっと幼い頃からずっと、あのお母さんは娘にたくさん話しかけ続けてきたんだと思う。
しかも子供だからと変に線を引かずに、対等に話しかけてきたんだろうな。
(あんな小さな子供相手なら、線を引くほうが普通な気がするけど)
another.私の推しについて
「子供好き」を自称する女性は多くいるが、私は違う。
特に今の仕事を始めて、子供に対して苦手意識を持つようになった。
嫌いではないし、可愛がっている子もいるけれど、「子供だから」という理由で無条件にすべての子を可愛がれるわけではない。
そんな私が、密かに推している女児(患者)がいる。
彼女は出会った頃、まだ未就学児であった。
早いもので、そろそろ児童になる年齢である。
パッと見は普通に元気な女の子なのだけれど先天性の疾患があり、幼い頃から薬を飲み続けている。
だから昔から、定期的に私たちの元へ訪れるのだ。
とはいえ現状命に関わるものではないし、やはり接する感じは普通に元気な女の子なのだ。
彼女は外出先から戻ってくると、まずは自分ひとりで受付にやってくる。
「〇〇 〇〇(彼女の本名・フルネーム)です!おくすりもらいに来ました!!」
お母さんはいつも、自動ドアの向こうで見守っている。
彼女に声をかけられるたび、私はなんだか嬉しい気持ちになる。
元気な姿も、ひとりでできることはひとりでやろうとする自律性も、礼儀正しさも、なんか全部が尊いなぁと思ったりする。
前にどこかでも書いた気がするけれど、これって誰でもできることじゃないんだ。
外出先から戻ってきた患者が、受付で名前を名乗り、戻ったことを伝える。
大人でもこれをやってくれる人、意外と少ない。
「戻ったら受付で名前を伝えてください」と患者に伝えても、それができない人が多くいる。
ただ「戻りました」って言われても、私たちは「あなた誰?」って心の中で思うわけ。
だけど声をかけてくれるだけまだいい方で、中には無言で待合室にいつの間にか座っている人もいる。
言葉で伝えても理解してもらえないとき、なんだか物凄く虚無を感じる。
そして虚無と同時に、恐怖も感じる。
推しの尊さが身に沁みる。
お母さん、凄いわ。
国語力に影響を与える家庭格差とは何か
経済格差という言葉は最近よく聞くけれど、それとは若干異なる。
つまり、親が成長過程の子供に、どれくらい刺激を与えてやれるかということだ。
刺激とはコミュニケーションで、この刺激によって、子供に国語力が育まれていく。
「絵本の読み聞かせ」がわかりやすい。
「〇歳までに〇冊読み聞かせろ」とかいう意識高い系の話ではない。
もちろん絵本は語彙の習得や興味の幅を広げるのに役立つのだが、「読み聞かせ」には他にも大事な効用がある。
読み聞かせることによって発生するコミュニケーションが大事ということらしい。
目を見る、言葉を交わす、質問したり、指差ししたり。それらすべてが、子供にとって刺激になる。
そして絵本を媒介しない年齢になっても、やはりコミュニケーションは重要な役割を果たす。
子供が語彙を増やせるように適度に複雑な表現をしてみたり、同じ言葉でも様々な形でつかってみせたりする。
人は言葉で世界を理解する。自分のことも、相手のことも、言葉で考える。
言葉の理解が細分化されれば、思考も表現もそれだけ細分化される。
そう考えると、たしかに育つ環境は重大な役割を果たすなぁと思ったり。
「クソ」とか「ウザ」とか「イラつく」とか「死ね」とか「殺す」とか「死にたい」とか、そういう単純で強い言葉でしか表現できないと、そりゃトラブルも起こしやすいし、詳細は何も伝わらないし、生きづらいよなぁ……と。
子育てって大変なんだな、と。他人事ながら思うなどした。
生活に追われてたらきっと、丁寧なコミュニケーションとるのも難しいだろうしね。
仮にできたところで、その子の特性によっては上手くいかないこともあるだろうし。
まぁ何が言いたいのかというと、この本面白い(まだ読み終わってないけど)。
子供のことがメインで書かれているのに子育てしてない私でも面白いのは、国語力は「子供に限った話ではない」からだと思う。
大人だって、もっと国語力を磨けるなら磨いたほうがよい。と、私は思う。
そんな感じで、本日ワタクシからは以上でございます。
お疲れ様でした!