※この記事は2022/02/11に加筆・修正しています※
「そもそもこれって悪女なの?」
【悪女について】のあらすじを読んで、私のパートナーが放った一言。
「程度の差こそあれ、女性ってこういうものじゃない?」
そう言われてしまうと……なんとも……
つまり彼は、多かれ少なかれ、私のこともそう思っているということですね、はい。
まぁいいけど。
悪女とは一体。。。
《自殺か、他殺か、虚飾の女王、謎の死》
醜聞(スキャンダル)にまみれて謎の死を遂げた美貌の女実業家富小路公子。彼女に関わった二十七人の男女へのインタビューで浮かび上がってきたのは、騙された男たちにもそれと気付かれぬ、恐ろしくも奇想天外な女の悪の愉しみ方だった。男社会を逆手にとり、しかも女の魅力を完璧に発揮して男たちを翻弄しながら、豪奢に悪を愉しんだ女の一生を綴る長編小説。
金、セックス、名声、子ども…
すべてを手に入れた女、公子。
彼女は本当に“悪女”だったのか?
この小説の主人公は間違いなく富小路公子という女性なのだが、彼女本人は一度も登場することなく物語が紡がれていく。
なぜなら富小路公子その人は、すでに死んでいるから。
物語を紡ぐのは、生前の彼女と関わりのあった男女二十七人。
読者である我々は一度も本物の富小路公子と出会うことなく、紡ぎ手である彼ら彼女らの語る女性の幻影を追いかけることになる。
ある人は『悪い女だ』と語り、ある人は『心が優しく、嘘がなく、潔癖な女だ』と語る。
彼女の素顔は一体どこにあるのか。
そして彼女は、一体なぜ、どうやって死んでしまったのか。
目次が欲しかった
ところでこの小説には、目次がついていなかった。
あえてなの?あえてなのかな?
よくわからんけど、私は読んでる途中で目次が欲しくなったので自分のメモのために書いておく。
二十七人それぞれがそれぞれの想い出を語るので、時系列が入り組んだりすると別の人の話を遡ってもう一度読みたくなったりするのよね。
- 早川松夫の話
- 丸井牧子の話
- 浅井雪子の話
- 渡瀬義雄の話
- 渡瀬子静の話
- 里野婦人の話
- 大内三郎の話
- 沢山夫人の話
- 沢山栄次の話
- 林梨江の話
- 伊藤弁護士の話
- 富本宮子の話
- 菅原ふみの話
- 富本寛一の話
- 烏丸瑤子の話
- レイディズ・ソサイエティの事務員の話
- 瀬川大介の妻の話
- 宝石職人の話
- 北村院長の話
- 銀座のバァのマダムの話
- 鈴木タネの話
- テレビ・プロデューサーの話
- 小島誠の話
- 長男義彦の話
- 尾藤輝彦の話
- 宝来病院元婦長の話
- 次男義輝の話
こうやって一覧になっているととてもわかり易い(自己満)
面白かったポイント3つ
まず、読み始めて一番最初に思ったのは、
『愚行録みたい…』 だった。
これは小説の形式の話である。
貫井徳郎さんの著書、愚行録。
あの小説もインタビュー形式で進んでいくので、すぐに既視感を感じた。
もちろん【悪女について】の方が圧倒的に古く、先に描かれた作品なのだけど、私がたまたま愚行録の方を先に読了していたのでそういう感想になってしまった。
愚行録も好きな作品なので、私はこの形式の小説が結構好きなのかもというのが新しい発見だった。
2つ目は、冒頭に書いた私のパートナーの感想と、似たようなことを発言する語り部がいたことだ。
二十人目の、銀座のバァのマダムの話。
彼女が死んでから、色々書かれて、本当は昭和十一年生まれだってことや、田園調布の豪邸が二重三重の抵当に入ってたことや、借り倒された銀行が、慌ててあのビルを差押えようとしたことも知ったけど、それがどうして悪女なのさ。
年のサバ読むのは、私たちだって常識よ。人を殺したわけじゃなし、何も犯罪をおかしたわけじゃないのに、気の毒だわよ。どこの会社だって借入金で自転車操業してるの、これも当節は常識でしょ。銀行は担保なしでは貸さないもの。
彼女の話は非常に興味深い内容となっている。
このマダムは水商売の人間で、彼女は彼女の常識を基準に話している。
常識や価値基準は人それぞれ異なって当たり前なのだが、それが顕著に出た例と言えるのではないだろうか。
要は多様性をどこまで幅広く認識しているか、だ。
それによって人は、許容できる範囲が大きく異なってくる。
そうして彼女の発言は、3つめの面白いポイントへと繋がっていく。
宝石?うん、彼女からダイヤモンドを買ったわよ。私のところに出入りしている宝石屋に見せたけど、もちろん偽物じゃなかったし、傷もなかったわ。最高級品だった。
宝石屋が、
「いい値で、得なお買物なさいましたね」
って、今でも言うもの。
騙されたって、男も女も言ってるそうだけど、私に言わせれば、騙された方が間抜けだっただけじゃないの?
二十七人それぞれが、各々好きなように自分の知る富小路公子について語る。
その人物像はあまりにも色彩豊かで、まるで同じ人物について語っているとは到底思えず、一見富小路公子が嘘ばかりついていたようにも思える。
しかしながら案外、実は違うのかも知れないということを、作中の《宝石》が象徴しているように私には見えた。
相手を選び、必要な場面では必ず本物を混ぜている。
重要なのは、本物を使うポイントを間違えないことだ。
女性としての富小路公子、ビジネパーソンとしての富小路公子、友人として、恋人として、妻として、母として、彼女は必要に応じて様々な仮面を使い分けたと言える。
悪女とは何か
結局の所、“悪女”とはなんなのだろう。
真実かどうかはさて置き、彼女は死後、世間から“悪女”のレッテルを貼られた。
どれだけ関係者を取材したところで、恐らく誰もが納得する“真実”は手に入らないのだろうと推測する。
あまりにも複雑に入り乱れすぎていて、本人が不在のまま仕分けすることは不可能になっている。
人は得体の知れないものを受け入れないし、認めない。
彼女が世間から悪と定義づけられてしまった大きな要因は、もしかするとそこにあるのではと思えたりしないこともない。
いや、私は普通に悪女だと思うけどね、富小路公子のことはww
《悪女について》とても面白かったので、有吉佐和子さんの他の小説も読んでみたくなりました。
それからもう一つ気になったのはドラマです。
沢尻エリカさんが演ったらしい。
似合うなwww
ちょっと見てみたかったけど配信やってるのはParaviだけ??
Amazonは課金して見ることすらできないみたい。
エリカ様の不祥事のせいか…??
Amazonにあれば課金してでも見たんだけどなぁ。残念。
不祥事起こした役者やアーティストの作品全部撤収する文化、いい加減廃止して欲しいわ…
そんな感じで、本日ワタクシからは以上でございます。
お疲れさまでした!